2028年、グリーン・ニューディール政策を求める「サンライズ・ムーブメント」の若者たちは、ペロシ下院議員のオフィスを占拠して、気候政策に真摯に取り組むことを要求した(多くが逮捕された)。サンライズ・ムーブメントは大学生が中心の運動で、「誰ひとり取り残さない」ための、GNDを求める運動を展開してきた。かれらの運動を受け止め、具体的な政策として打ち出したのが民主党左派の議員たちである。バーニー・サンダースのGND政策は、15年間で16.3兆ドル(1ドル=140円として、2282兆円)という、大規模な積極財政政策であった。サンダースはこの政策を掲げて、民主党の大統領候補予備選挙に挑戦した。結果は敗退だったものの、この予備選がアメリカの運命を大きく動かすことになる。サンダースたちが蒔いたGNDの種が、のちに米国バイデン政権の気候対策法、「インフレ抑制法」に結実するのである。本稿ではこの「インフレ抑制法」の成立に至る経緯の全貌を明らかにする。